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「職安通りの夜間保育園」

丹羽洋子 著(ひとなる書房)1991年

「新宿に、とってもおもしろい保育園がある」…………そんな話が耳に入ってきた。
ABC乳児保育園という名のその保育園が、歌舞伎町の近くにある無認可の夜間保育園であることを、やがて私は知った。その保育園では、「親が子どもをお風呂に入れてやれないのなら、保育園が入れてやろう」と、子どもを銭湯につれていくという。片野先生という園長は、「親が忙しくてできないのなら、保育園がやってあげればいいじゃないの」というのだそうだ。
新宿といえば、ベビーホテルのメッカである。歌舞伎町といえば「保育園」などという文字がおよそ不似合いな夜の街である。
そんなところにある「ABC」という保育園、それも夜間保育園、いったいどんな保育園なのだろう。片野先生という人はどんな人なのだろう。
そんなわけで、ひとなる書房からの「ABC」を取材してみないかという話には、一も二もなくのることにしたのである。かくして、「ABC」ルポタージュがはじまったわけである。

「『ABC』は眠らない街の保育園」

片野清美 著(広葉書林)1997年

眠らない街、新宿——ここで私は、昭和58年に乳児保育園を開園しました。
歌舞伎町に近いという特殊な土地柄のためか、これまで子どもを預けにきた親には、ホステスさんや居酒屋に勤める人、レストランや劇場の経営者、医者、フリーのイラストレーター、ミュージシャンなど、さまざまな職業の人がいました。外国人も多く、なかには国籍のない子を産んだ親も……。
この本にはそれらたくさんの親が登場しており、それぞれ大変な人生を送っていることがわかっていただけると思います。
また、この本には私の人生も織り交ぜて書かせていただきました。結婚—家出—離婚—二度目の結婚。私の産んだ子どもが6人。八百屋も経験し、歌舞伎町で働いたこともあります。そんな私の人生を「波乱万丈」とよくいわれますが、あまりに目まぐるしく忙しい日々が続き、私自身はこれまで過去を振り返ることはほとんどなかったように思います。とにかく前に進むこと、それが私の生き方だったのです。

「働きながらの子育て」

片野仁志・清美 共著(自費出版)2004年

やりたいことはまだ山のようにあります。二月から自主運営で休日保育を始めました。四月から夜間学童も始めます。子どもは、休日だって卒園して一年生になった日だって、何も変わらないんです。いきなり一人で過ごせるようになるわけじゃない。ご飯はどうしてるのかな?お風呂はどうするのかな?赤ちゃんのときから見てる子達ですからね、気になって仕方がない。行政が動くのを待ってなんかいられませんよ。だって、子どもは生きてるんだもん。署名運動だって募金活動だって何だってして助けますよ。二千五百人の署名のおかげで、保育園の近くのビルを借りて始める学童クラブには、区の助成金が出ることになりました。
認可園になって、深い事情を抱える親は入りにくくなったという矛盾があります。制度の中ではなかなか手が差し伸べられない親子のために、もうひとつ保育園をつくる予定です。ぬくもりのある木の園舎でね。歌舞伎町の原点に、もう一度帰ろうかなあ、って。評価の基準を建物や敷地だけにしないでほしい。恵まれた立地条件にあって広々とした園庭の取れる保育園に、地価の高い東京の園がかなうわけないですもん。外側だけじゃなく、中身をしっかりと見てほしい。
たったひとりの子どもも漏れることがなく平等に、保育サービスが行き渡るようにしてあげたいですね。


平成25年度 吉川英治文化賞(第47回)
平成25年4月11日(2013年)

夜間保育園を続けて三十年、小学生対象の学童クラブも運営する。
現在の福岡県北九州市で生まれた片野氏は、短大保育科を卒業後、地元で保育士の仕事についていたが、三十二歳で上京。一九八三年に新宿・職安通りで無認可の「ABC乳児保育園」を開園した。場所柄、夜でも仕事を持つ母親から子どもを預かるケースが多く、開園直後から二十四時間開所の保育園とした。
共働きや母子家庭などが多い都市部では、保育園が深夜まで、あるいは二十四時間開いていることが不可欠だと、片野氏は訴えてきた。しかし、理解のない人々からは「子どもは、夜は親と暮らし、親元にいるのがいちばんいい」「水商売の人が多いんでしょう」などの誹謗中傷を受けた。確かに、預かる子どもは父子家庭や母子家庭の子どもが多いが、中央官庁勤務や会社経営者の子どもも少なくない。
十三時間延長が認められた二〇〇二年には認可保育園ではじめての二十四時間サービスに踏み切った(全国で初)。同年、一年生から六年生までの小学生を夜間まで預かる学童クラブ「風の子クラブ」も開設、夜間に仕事する親を持つ小学生五十人の面倒を見ている。片野氏は、「昼も夜も子どもは平等というのが、私のポリシー。二十四時間保育というと、預けっぱなしなど悪いイメージが強いけれど、規則正しい生活ときちんとした食事を用意するのが役目だと思っています」と話す。
さらには、全国夜間保育園連盟(設立は一九八三年)の役員、保護司、新宿区の虐待防止委員、里親委員としても地域の人たちと連携しながら活動している。
政府は昨年成立した「子育て関連三法」によって、待機児童対策として二〇一五年から幼稚園と保育園を一体とした政策をようやく行おうとしている。片野氏の活動は、制度の先取りをしている点を評価したい。

「夜間保育と子どもたち ★30年のあゆみ★」

全国夜間保育園連盟 監修(北大路書房)2014年

「夜間保育は、子どもの成長・発達に悪影響を及ぼすであろう」
保育関係者を含め社会一般からのこの指摘は、1981(昭和56)年の夜間保育制度創設以来、魔女の口から発せられた”悪しき予言”のごとく、夜間保育に携わる私たちを悩ませてきました。
同様の表現として、「夜間保育は、児童福祉の目的である『児童の健全育成』の観点から、望ましくない」ともいわれました。
以来30数年、全国にわずか80か所しかない認可夜間保育園は、この予言を払拭するため、各地で孤軍奮闘し、夜間に保育を必要とする子どもたちの幸せを守る実践を積み重ねてきました。また一方で、長年にわたる調査・研究により、この予言が真実ではないことを明らかにしてきました。
本書は、全国にある数少ない夜間保育の実践者や卒園児・保護者、そして関係者が、それぞれの立場から、夜間保育の真実について書きつづったものです。夜間保育が望ましくないのではなく、夜間保育を必要とする子どもの置かれた環境が望ましくないのであり、その厳しい環境に置かれた子どもを夜間保育によって少しでも望ましい状態に変えることが児童福祉の精神であることも分かっていただけることでしょう。その意味で、認可夜間保育園は、子どもにとってもまたその保護者にとっても、”砂漠のオアシス”であり、”サライ”として存在するのです。

「ハッピーランチガイド無農薬の安全・安心な給食はどこ?」

国際環境NGOグリンピース・ジャパン 制作2015年

有機給食100%を実現! —エイビイシイ保育園—
都会の保育園で有機給食を出すのは難しい?
実はそんなことありません。信頼できる農家と提携すれば実現可能です。
「子どもたちのからだの基礎ができる時期に、安全で安心な物を給食で食べさせたい」
そう話すのは、東京で唯一24時間認可保育を行う「エイビイシイ保育園」の理事長・片野仁志さんと、園長・片野清美さんだ。都心にありながらも、農薬も化学肥料も遺伝子組み換えも使わずに作られた食材で、オーガニック100%の給食を子どもたちに手作りで提供している。24時間保育のため、1日に昼食・おやつ・夕食の3食を和食中心で、おやつもほうれん草と小豆のパウンドケーキやおからクッキーなど野菜を取り入れたレシピを心がけている。隣接の学童「エイビイシイ風の子クラブ」で提供する夕食も有機だ。
ここの給食にはいろいろな工夫がつまっている。有機食材への取り組みは13年前、一粒のお米から始まった。「子どもの免疫力や抵抗力を高めるには、食を変えなければ」

「日本人のひたむきな生き方」

松本 創 著(講談社)2015年

1983年8月、歌舞伎町から職安通りを渡ってすぐの、通りに面した雑居ビルの4階に「ABC乳児保育園」を開設した。24時間・年中無休にしたのは、歌舞伎町で働いて、夜の保育を必要としている母親がいかに多いかを知ったからだ。当時はベビーホテル全盛だったが、そこではベッドを並べて寝かせるだけ。目が行き届かず事故も多かった。夜でもちゃんと愛情をかけて育てる「保育」をしようと保育士を1人雇い、畳を敷き、ベッドを10台ほど置いた。壁には折り紙で作った季節の花や木々、動物たち。同じ階に雀荘がある、くすんだビルの一室を0〜2歳児を迎えられる部屋にしようと、精いっぱい明るく飾った。
しかし、赤ちゃんは一向にやって来なかった。駅前や周辺のアパートにチラシをまき、電柱にビラを貼って歩く日々が続いた。仁志さんも手伝ってくれた。2人は北新宿の2畳半を引き払い、保育園の向かいのマンションに移っていた。
ようやく赤ちゃんを抱いた若い母親がドアを開けたのは開設から3ヵ月後。冬になろうとしていた。園児第1号は生後5ヶ月の女の子。嬉しくてたまらなかった。だがそれも束の間、「仕事を探すので夜12時まで預かって欲しい」と出かけて行った母親は、その日戻らなかった。2日経ち、3日経ち……「お母さん、どうしちゃったんだろうねえ」と、思わず女の子の寝顔につぶやく。言ってから胸が締め付けられた。自分だって同じだ。九州の両親は途方に暮れ、息子たちの寝顔に言っているだろう。「お母さん、どこにおるんやろうねえ」と——。

32年前、片野さんの東京生活はそんなふうに始まった。同時に、日本で初めて行政が認可する24時間保育園となった「エイビイシイ保育園」の歩みも。

(DVD発売中)

「夜間もやってる保育園」

大宮浩一 監督
(ドキュメンタリー映画・111分)2017-2018年

「夜間保育園」を知っていますか?
夕方には仕事を終えて、家族そろって食卓を囲みたい。
けれど、なかなかそうもいきません。
家庭の事情もさまざま。核家族化、共働き、夜遅くまでの仕事もあれば、
ひとりで家事や育児もこなすシングルペアレントだって少なくありません。
夜間保育園は、子どもたちが安心して夜「も」過ごせる保育園です。

映画が映し出すのは、制度や数字からだけでは知ることのできない豊かな現実です。
少子化が進むいっぽうで大きな社会問題になっている待機児童。国と自治体にとって喫緊の課題ですが、認可夜間保育園の数は全国で81。夜間に子どもを預けてまで働く親と夜間保育園への偏見や批判も多くあります。
だからいま、いっしょに考えてみませんか?
新宿歌舞伎町に隣接する大久保で24時間保育を行う「エイビイシイ保育園」では、完全オーガニックの給食による食育や多動的な子どもたちへの療育プログラム、卒園後の学童保育など、独自の試行錯誤をつづけていました。さらに北海道、新潟、沖縄の保育現場を取材しました。
監督は『ただいま それぞれの居場所』で介護福祉現場のいまを鮮やかに描いた大宮浩一。さまざまな事情で子どもを預ける親や保育士たちの葛藤やよろこび。すくすくと育つ子どもたちの笑顔や寝顔や泣き顔…。知られざる夜間保育の現場から、家族のありかた、働きかた、いま私たちが暮らしているこの社会のかたちを照らします。

「知ってますか 24時間認可保育園」写真集

写真・文 川内松男(星の環会)2019年

私も働く親に育てられた。
父は国鉄(現在のJR)に40年間勤務し、母も国立病院の看護師として40年間働いた。
私の記憶の中では、いつも忙しく両親が働いていることを不思議とは思わなかった。私と弟は、小さい時から保育園に預けられていた。その頃の保育園は夕方5時位までだったかな?私たち兄弟がいつも一番最後のお迎えだった。園長先生が父の自転車の音がするのを聞いて、弟に「薫ちゃんお迎えきたよ!」と教えてくれると、弟は走り出し、父のもとに飛び込んで抱っこをせがんでいた光景を覚えている。私はその次だった。いつも、園長先生が可愛がってくれた記憶がある。(昭和30年頃の福岡県小倉の光沢寺保育園)
そんな両親の姿を見て、私たち兄弟は育った。
両親が一生懸命頑張ったお陰で、今の私がある。私も子どもを産み育てる中、みんなには迷惑をかけてきたかも知れないが、共働きは素晴らしいと思う。私も働く親に育てられ、とても感謝している。
この写真集の中のお父さんお母さんも、一生懸命働きながら子育てをしている。
写真家川内松男氏がとらえた、2つの時代のエイビイシイ保育園。はち切れそうな笑顔、たくましい顔、悲しい顔、すねた顔、泣き出しそうな顔、なぜか思惑的な顔、そのときどきの子どもたちの顔が、私たちの未来を拓いてきてくれた。
「未来は、今よりずっといい!」
その希望を胸に、これからも子どもたちが、すこやかに育ってくれることを願ってやみません。

大都市東京の「多文化空間」で生きる人びと
新宿・大久保の24時間保育園の記録

大野 光子著(ハーベスト社)2020年

本研究は、「多文化空間」大久保にある24時間開所の 「エイビイシイ保育園」をめぐるモノグラフである。大久保は、JR山の手線・新大久保駅とJR総武線 ・ 大久保駅を中心に広がる地域で、地域の広がりとしては、東は明治通り、西は小滝橋通り、北は早稲田大学理工学部、南は職安通りに囲まれた一帯のことだ。この一帯は、コリアンタウンとして有名だが、大久保通りと職安通りを中心に日本や韓国の飲食店やスーパーのみならず、中国・台湾、タイ、ネパール、インド、バングラデシュなど多数のエスニック系のレストランや食材店が立ち並ぶ他、複数の国旗を並べて外国人住民にアピールする不動産屋やイスラム教モスクも在り、街を歩いてみるだけで大久保にマルチ・エスニックな空間が広がっていることに気づかされる。 このように、様ざまなエスニシティが集まり交差する大久保に24時間開所の「エイビイシイ保育園」ができたのは、1983年のことである。はじめは無認可の24時間保育園としてのスタートだったが、その後、地域の変化やニーズを反映し、さらにエイビイシイ保育園の起こした保育運動の成果が実り、エイビイシイ保育園は、2001年に東京都で初、そして唯一の認可の24時間保育園となる。
本研究は、以上のようなエイビイシイ保育園の存在またそこに関わる保育者、保護者、地域住民、そしてエイビイシイ保育園が24時間保育園として認可を獲得した際の行政側の担当者の声をもとに、大久保に生まれた保育に関する課題やニーズ、生活様式を明らかにし、さらに現代の東京のインナー シティの特質を分析するものである。

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